浅草のお寺 日蓮宗『深榮山 長昌寺』


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毎月18日、一寸八分観音様のご縁日(ご開帳・ご祈祷・法話)
ご縁日には、荒行成満の十数名の僧侶による身体健全、良縁成就、厄除け等のご祈祷を受けられる寺院です。

長昌寺縁起

深榮山長昌寺はもと妙昌寺といい、弘安二年(一二七九)六月二日、日寂上人によって武蔵国豊嶋郡石浜庄橋場に開創されました。


日寂上人はもと金竜山浅草寺第三世の座主で、高徳広才の高僧として厚い崇敬が寄せられていました。弘安二年の春、たまたまこの地に留錫した日常上人と宗論を交わした寂海法印は、「仏教の真髄は法華経にある」と説く日常上人の信仰に強く心を動かされ、ただちに身延山に登って日蓮聖人に接し、「釈尊本懐の妙理」を聴聞しました。
 「胸中の雲霧初めて晴れ」(『正観世音菩薩略縁起』)た寂海法師は数珠を断って日蓮聖人の弟子となり、名を日寂と賜りました。
 このおり法印(日寂)に随行した弟子の本覚房、河内房もともに宗を改め、日増、日可の名を賜っています。
 浅草寺に帰った日寂上人は、全山をあげて日蓮宗に改宗すべくつとめたものの事は成就せず、意を決した日寂上人は閻浮壇金・観世菩薩の尊像を、古銅の宝塔に納めたままこれを背負い、日増、日可とともに浅草寺をたち退き、橋場の地に一宇を開創し妙昌寺と号しました。江戸府内における日蓮宗門第一の旧刹です。
 弘安九年(一二八六)十一月一日、開山・日寂上人が遷化しました。
 日寂上人の出自等について記されたものは何もなく、『本化別頭仏祖統記』にも「武蔵長昌寺の開山なり。日寂素(もと)天台宗の僧にして寂海法印と呼び、浅草金龍山の別当なりしが、弘安二年夏微行して身延山に至り、日蓮に見えて戒を受け日寂の名を賜はる。弘安九年十一月一日寂す。」とだけ記されています。
 日寂上人遷化ののち、日増上人が二世、日可上人が三世を嗣いで法灯を守ります。
 このころの長昌寺(妙昌寺)の境内寺領地は、一万坪とも二万坪とも伝えられる広大なもので、隅田川に接した地に堂宇建立されていたようで、洪水禍に罹り諸堂宇を流失してしまいました。このおり梵鐘も河中に沈み、再び引き上げられることはなく、「鐘が淵」の地名になったと伝えられています。
 元亨元年(一三二一)日可上人は現在地に諸堂宇を建立し、妙昌寺を改めて深榮山長昌寺と号しました。

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